「どうやって英語を習得したんですか?」①
気がつけば2025年の1/6が過ぎました。まさにTime fliesですね。
留学生たちは進学年度の新鮮な気分が落ち着き、それぞれがまた新たなステージ特有の壁にぶつかり始めた印象です。
先週くらいからよく出始めた質問が「どうやって英語を習得したんですか」「どうやってローカルの友達を作ったんですか」というものです。こういう質問が出てくるのは、衣食住が満たされ、安心できる生活基盤が出来たという証拠ですね!
せっかくなので、一部の留学生にお話した、私の英語が出来なかった時代についてここでも書いてみようと思います。ただ、あまりに精神的な負荷が高いので自己責任で参考にしていただければと思います。私は実際に摂食障害寸前まで自分を追い込んでしまいました。
当時のアメリカでの私の環境・状況はこうでした;
・当時HelloとExcuse meしか言えない中学1年生(幼稚園もイギリスに住んでいましたが英語は残らず)
・留学ではなかったので日本語サポートのエージェントなどはいない
・中学校に英語が母国語でない生徒は日本人は私だけ、中国人・韓国人・ハンガリー人・ロシア人それぞれ1人
・スマホどころかインターネットが出始めた頃で個人への普及はしていない時代
学校初日にいきなり時間割の紙を渡され、そもそも全ての授業を違うクラス・メンバーですることも初めて。「この教室はどこですか?」なんて言い方はもちろん知らなかったので、先生っぽい大人を見つけたら時間割を見せて “Excuse me?” と休み時間ごとに聞いて。
休み時間の長ささえよく分からないのでトイレも行けない、現地の子は広辞苑みたいな分厚さの各教科の教科書を休み時間ごとにロッカーで出し入れしていたけど、私はどの教科書がどの教科かさえもよく分からないので腕も肩も砕けそうになりながら全部持ち歩いていました。
英語が分からない生徒に特別な気遣いとかない(そもそも外国人に慣れていない)先生も多く、色々質問されても一言も聞き取れず、周りの子がおそらく「この子英語わかりませーん」みたいなことを言って先生が諦めるということとか、次の教室はどこだろうっていう不安から授業内容にはまったく集中できず。
辞書も使い慣れてないから何をどう調べればいいかで使いこなせず、授業は家に帰ってゆっくり理解しようと黒板を全部ノートに書き取りたいけど、先生の板書に癖がある+単語を知らないからアルファベットひとつずつ見て書く、そんな状態だったので家に帰って父にノートを見てもらっても???な状態。
ランチタイムも何分あるか分からないので、カフェテリアでどこに座ろうかうろうろしてる間に終了のベルが鳴って、慌てて口に押し込んだホットドッグの味は今でも思い出せます。食べ残しをゴミ箱に入れていいかも分からなかったから、不安で溢れてきそうな涙を堪えながら立ったままカラカラの喉へ必死に押し込んだホットドッグは全然飲み込めませんでした。
アメリカに行くまでの私は、日本ではクラスの中心にいるタイプでした。学級委員をしたり、よく表彰されたり、自信に満ちた子どもでした。
そんな私がなるべく目立たないように、不安に押しつぶされないように、自信なんて全くなくなったアメリカ生活のスタートでしたが、私は「絶対英語が喋れるようになってかっこいいねって言われたい」という、今思えば口に出すのも恥ずかしい思いと共に、幼い中学生なりの作戦を立てて実行し始めました。
次回へ続く